怒り

「僕は車に乗ると人間が変わるんだよね、思いがけず渋滞に巻き込まれたときには一人車の中で激しく怒っていたりするんだよ」

「伊波さん、それは普段は表に出ない伊波さんの隠れた性格ですよ」

学生時代のことで、心理学を専攻していた女子学生からの指摘。周囲には温厚で通っていたし自分でもそう思っていたのだがら、意外な指摘であった。

そして、今、怒る自分と温厚な自分がいる。怒る自分も温厚な自分も確かに自分自身。

ときどき、特定の人に対して強く怒りを感じるときがある。頭に血が上る。そんなときは自分に言い聞かせる。つまらない人のために腹を立ててどうする、つまらない人に自分の心をかき回されてどうする、相手はそれほどの人間か、と思うと頭に上っていた血が一気に下がり平静になる。相手がそれほどの人間である場合はどうするか、耳を傾けて自分自身を見つめる。

自分の感情を理性で統制できると思っているので、自分の怒りに対しては寛容である。いったん、怒りを自分の中に受け入れて、不都合なら理性で落ち着かせる。

感情の自分がいて、理性の自分がいて、感情と理性を見つめる自分がいる。人間は面白い。

話は変わって、オスプレイ。

一人一人が怒らないといけない。欠陥ヘリコプターで事故頻発の輸送機を普天間基地に配備するなどとんでもない。オスプレイはヘリコプターとプロペラ飛行機の両方の機能を備えるために、ローター(飛行機のプロペラにあたる)が小さい。ローターが小さいのでエンジン停止時の着陸手段であるオートローテーション機能がなく、エンジンが止まったら墜落するしかないのだという。安全対策が備わっておらず機能上の問題があるからこれだけ事故が頻発するのである。オスプレイの安全性が疑問視されているさ中で、また先日、アメリカ・フロリダでオスプレイの墜落事故があった。

怒りが必要なときである。県民全員が怒らないといけない。その怒りが、現状を変え今後を方向づけていく。

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