万葉集

史上初めて国書(日本の書物)を出典として元号を選んだと安倍首相はいうが、どうもその万葉集の出典は中国の「文選」を参考に書かれたものらしい。

万葉集では 「初春の令月にして、気淑く風和らぐ」

文選では  「仲春令月、時和気清」 ジョンチュンリーンユエ、シーフアチーチン 勉強中の中国語の知識で訳すると「春二月のきれいな月、季節は和やかで空気も清らかである」

ほとんど意味内容が同じである。出典が国書というが、実質は中身が中国古典からの借り物ということになる。結局は漢籍から脱することはできなかったことになる。それなら、そこまで国書にこだわって「令和」にする必要はなかった。

お祭りムードの元号の発表から一日たつと、けっこう「令和」に対する批判が多く見られ、テレビで堂々と批判する東京大学の歴史専門家もいたりで、新元号への批判はどうやらそれほどタブーではないようだ。

タブーでないのなら、もうはっきり言ってしまいたい。

「令和」は使いたくない。「令和」を使うよりは、いっそのこと元号制は廃止してしまったほうがよい。おかしな元号を決めたのは、元号の存在意義を考えるよい機会である。皇帝・天皇が空間だけでなく時間まで支配する手段として元号が使われ始めたという。発祥が紀元前の中国で、朝鮮やベトナム、日本の漢字文化圏で使われるようになったが、今ではどの国でも廃止されて残っているのは日本だけである。世界中にただ一国。経済効率性が非常によくない。国内だけでも不便だが、それが外国とのやり取りではなおさら不便である。世界標準に一致させるグローバル化は、元号制の廃止でこそまず行われるべきである。そうすれば、「令和」を使わなくてもよくなる。それが経済効率を上げ経済を発展させ、人々の生活を豊かにしていく。

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