快楽と節制

隣家の桜の枝が我家の二階の住宅まで届いている。手を伸ばして赤く熟したサクランボを一個つまんで食べてみる。<うまい>。さらにつまんでいき、10個ぐらいは食べただろうか。<甘酸っぱさが何とも言えない>

サクランボを食べて美味しいと感じられるのは、何という魅力であり快楽であろうか。天の配剤は、人間を含めた命あるものに食べるという快楽を授けた。人は食べるという快楽を満たすから生き続けることができる。

ところで、私自身は食事は一日に一回だけである。朝食と昼食は取らずに、晩御飯だけを食べている。ただ、朝は野菜ジュースとフルーツジュースは飲んでいる。また固形物以外のソフトドリンクを日中に飲むことは自分に許している。

食べるという快楽の充足が生命維持につながるとはいえ、本来人の体は飽食を前提としていない。過ぎたるは及ばざるであり、空腹が人の健康をむしろ増進させるというのも事実である。

昨夜は小さなケーキ二個とチョコパイとミルクドーナツを一個づつ食べた。週末・土日は節制を多少緩めているのだが、それにしても冷蔵庫で冷やした少し硬めのチョコパイはおいしい。

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