品位

「ぼくは、ともだちと、ちかくの川で、まるばいになって、およぎました。」※まるばい=真っ裸

小学校1年のときに書いた作文の一節である。「まるばい」と書いてあるのが余程おかしかったのか、大きく赤丸のついた作文に家族みんなが大笑いをしていた。

絶えずさらさらと流れる川は、山あいに広がる水田に水を供給していた。刈り取られた田んぼを走り回り、ぴょんぴょんと飛び跳ねるカエルを追いかけて遊んでいた。細長い竹の棒をムチのように使いカエルを目指してはたくのだが、カエルも必死になって逃げ回る。子供は残酷である。それでも楽しく野山で遊んでいた。

沖縄本島の中南部での水不足解消のため、北部には大きなダムがいくつも作られた。都市部での水不足は解消されたが、やんばるの川の水源が途絶えた。幼い頃に泳いだ川は、完全に干上がって乾いた石ころだけが残っている。走り回って遊んだ田んぼは今はない。

名護の二見から海沿いの道を北に行くと、静かな集落が国道沿いや山あいに点在している。カヌチャベイホテルの手前に三原という集落がある。私が生まれて小学校2年まで過ごした場所である。生まれ育った家はすぐ裏側に急な山があり、前方にも間近に急な山があった。家から望む山の嶺はどれも急なのでそれだけ日の出は遅く日没は早かった。周りを山に囲まれたたたずまいには風の音、鳥のさえずりが時を忘れたように静かに流れていた。

なぜあの豊かな自然を壊すのか。いったい誰にあの静かな生活を壊す権利があるのか。

都市部の危険を除去するために、田舎にその危険を押し付ける。そんなことがあってよいのか。

日本本土が危険な基地を沖縄に押し付け、その沖縄で危険な基地を都市部から田舎に押し付ける。田舎の人間はそれをどこに押し付けるのか。

これは「抑圧の移譲」と呼ばれるものである。上から受けた抑圧を自分より下の者に移していく。学校でいじめを受けた者が自分より弱い者をいじめることによってストレスを解消する。発注元の大企業から受けた値下げ圧力を下請け会社は孫請け会社に転嫁する。

普天間の基地を辺野古に移転することは、まさにこの「抑圧の移譲」である。不都合なことは下のものに任せる。こんなことがあってよいのか。

来る1月24日の宜野湾市長選の最大争点は、基地の辺野古移転を容認するか拒否するかである。自分だけよければよいのかが、問われる。宜野湾市民の品位と良識を信じたい。

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