映画雑感

日曜日にシネマライカムで映画を2本見てきた。「沖縄を変えた男」と「インフェルノ」の2本である。連続で見終わると、夜の11時を過ぎていた。見れるときに、まとめて見る。

 「沖縄を変えた男」は、ガレッジセールのゴリが非情な指導に徹する栽弘義監督を好演していた。

思えば、かつて甲子園で負けてばかりいた沖縄の高校野球が、栽監督のころから強くなっていった。豊見城高校の試合が始まると、道路を車が走らなくなり沖縄中がテレビに釘付けになり応援していた。あの頃の高校野球での騒ぎと高揚感は、沖縄の人々の意識に確かな変化をもたらしていったと思う。本土には勝てないというコンプレックスから徐々に解放されていった。

映画では、豊見城高校の後の沖縄水産高校時代に焦点を当てている。豊見城高校時代に、家庭の事情で年齢制限に引っかかりベンチ入りできない19歳3ヶ月の生徒を監督にしてベンチ入りさせ、自分は背広にネクタイ姿の部長の立場で影でチームを指揮していった。野球道具や設備が十分にそろえられない貧しい状況で、自前の工夫で球児の野球環境を作っていった。この映画では栽監督の非情という側面に強く焦点を当て過ぎているために、栽監督の全体像にかなり偏りがでているように思える。栽監督があの世からこの映画を観ていたら、「そうじゃないだろう」と怒っているかもしれない。映画の最後で栽監督を泣かせても解決はしない。

「インフェルノ」は2013年に出版されたダン・ブラウンの長編小説を映画化したものである。半年前にこの小説を英文の原書で読んでいたので、映画でどのように表現されているのかすごく興味があった。長編小説を2時間の枠に収めるために無理をしたのか、筋書きが大きく変わっていた。ヒロインが入れ替わる。殺したり殺されたり。結末が真逆なのは真実の衝撃が大きいから。シエナを深みのある魅力的な人物としてそのまま描いてくれたら嬉しかったのだが。

スイッチひとつで、人類の半分を殺して残りの半分を救う。そうしなければ、全人類が死んでしまう。あなたなら、どうする。とシエナがロバートに問いかける。理知はスイッチを押すことを求め、道義はスイッチを押してはいけないと言う。

ところで、職場の同僚との会話。

「インフルエンザ予防のため、ワクチンを打ってもらおうと思うんです。」

「それは、やめたほうがいいよ。インフルエンザのウイルスはRNAウイルスで突然変異が速くで、有効なワクチンをつくることは不可能である。また、ワクチンそのものには人の繁殖能力、受精能力を弱める物質が加えられており、インフルエンザワクチンの接種は人工抑制策として秘密裏に機能している。それと、女子中学・高校生が接種し副作用が問題になっている子宮頸がんワクチンはアジュバントという物質が含まれており、これは犬や動物の受精能力なくする避妊薬に使われている物質である。実際、子宮頸がんワクチンの能書きの成分表示にはアジュバントと載っており、子宮頸がんワクチンが人の受精能力に損傷を与える物質が含まれていることは明らかである。それでも、ワクチンは使われ続ける。インフルエンザや子宮頸がんなどいろんな疾病のワクチンは、ビジネスとして製薬会社の大きな収益源でもある。」

理知は、地球の人口を削減せよという。だからといって、秘密裏に人の受精能力を損傷する権利は誰にもない。自分の身は自分で守るしかない。

 

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