ぬかるみ

ヤンバルの道で、車が泥のぬかるみにはまり込んだ。坂を下ったら、もう上がれない戻れない。雨上がりのぬかるみで、タイヤがすべって空回りしている。

危ないと思ったのに、やはりはまり込んでしまった。用心が足りなかった。

なんとか、脱出しなければならない。30、40分ほどいろいろ試みるが、うまく行かない。時間は夕方5時である。そのままでは山の中で日が暮れる。

下まで降っていって、そこから勢いをつけてスピードを上げて脱出を試みるが、うまくいかない。4、5回それを繰り返している。あともう少しという坂の最後のほうでタイヤがスリップしてしまう。タイヤの摩擦で、焦げる臭いがして白い煙がでる。ここで頑張るか、また下まで降りていくか。

あきらめて、また下まで降りていく。下からまた勢いをつけて上がってみる。いつもバックである。行き止まりでUターンができない場所なのである。これが最後と思って、できる限りのスピードをつけてバックで上がっていった。ギュイーン、ギュイーンといつもスリップする場所で、ハンドルを右に左に回してアクセルを最後まで踏み込んで粘ったら、ついに車が抜け出た。坂を上がりきり、平坦な道に出ることができた。約1時間が経過していた。

「ぬかるみ」は、車がはまりこむ泥道だけではない。

人間社会にも「ぬかるみ」がある。用心していても、ぬかるみにはまり込んでいたりする。ぬかるみに入り込まない用心と、ぬかるみに入り込んだ場合の対応力が必要である。人もそうであり、国もそうである。

いま日本は、自ら「ぬかるみ」を選んでいるかのようである。一度ぬかるみに入り込むと、塗炭の苦しみが待っている。それを味わうのは名もない一般民衆であり、政治家はその外である。「ぬかるみ」に入り込まない用心と、入り込ませない用心がいま必要である。

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