洗骨

照屋年之監督(ガレッジセールのゴリ)の映画「洗骨」を観てきた。笑いがあり涙があり、受け継がれる命の重さについて考えさせられた。

数年前、実家の墓のヤンバルから沖縄市への引っ越しがあった。そのとき古い墓を開けると、中には多くのカーミ・厨子甕(ずしがめ)が置かれていた。6代続いている家なので、カーミの数も多かった。一つ一つのカーミには表に名前が書かれていて、その中に昔洗骨された骨が丁寧に納められていた。

墓の引越しに反対する親族は多かったが、どういうわけか引越しに向けてどんどん進んでいった。やはり反対が多いのに、カーミの中の骨は全部火葬することになっていた。私の姉が祖父の遺骨の一部はヤンバルに残してあげたいと、骨を一つカーミから取出して隠し持っていた。

そして、いざ火葬というときになって、ちょうど火に入れる直前に、姉は隠し持っていた骨を取出しやはり一緒に火葬してほしいと言う。その骨は下あごで、下あごがないと食べれない話せないで祖父が困るだろうと考えたのだった。

「洗骨」という映画で、カーミの中の骨がなおさら深みを持ってきた。墓はヤンバルでよかったし、古いカーミの骨もそのままでよかった。せめて、いつの日か墓を祖先の地に戻してあげたい。

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