禍福は糾える縄の如し

「糾う(あざなう)」ということばが難しい。そもそも、縄を糾うなど長いことやったことがない。枯れ草で縄をなうなど、今の我々の生活には不要なのだろう。

縄をなうには、少量の枯れ草二束を両手でよじりあわせていけばよい。束が少なくなると一束づつ枯れ草を付け足していく。一束つづが生活である。

「禍福は糾える縄の如し」とは、災いと幸福はよじりあわせた縄のようにそれぞれが互いに絡み合い、災いの裏には幸福があり、幸福の裏には災いがあるということである。

幸福だけの人生はないし、災いだけの人生もない。幸福は不幸を内包し、不幸は幸福を内包する。幸福の中に不幸が隠れ、不幸の中に幸福が芽吹く。

学校は、今が中間テストの時期。既に終わったところもある。試験の結果を見て、喜ぶ生徒、悔しがる生徒。生徒も勉強という縄を糾っていく。縄を糾うのは生徒自身。塾の先生は生徒が縄を糾う環境づくりをする。強い縄ができるように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました