震災

これから暖かくなるのかと思っていたら、寒さがぶり返してきた。足元の電気ストーブは900ワット。ポカポカと気持ちがよい。それでも、クシュンとひとつ。たぶんこれが最後の寒さで、沖縄は少しだけの春から夏に向かっていくのだろう。

テレビに映る東北地方。雪が降っている。家族を失い、住宅を失い、寒い避難所に身を寄せる。津波は人々からありとあらゆるものを奪い去った。1万人を超える無数の命を飲み込みながら。人の命は自然の脅威の前ではこうも小さいものなのか。小さい家、小さい車、小さいガラクタとともに人々の命をさらっていった。数々のかけがえのない小さい命をさらっていった。生き延びた命、残された家族、途方にくれながら、時をすごす。時の向こうで待っていた思いのおよばない運命は、あまりにもきびしい。

テレビに映る原子力発電所。煙が上がっている。ぎりぎりの危機的状況が続く。身の危険をかえりみず、難局に立ち向かう人たち。被曝を覚悟での原子炉への接近、ヘリコプターや地上からの放水、電源の復旧工事。この危機を打開しなければ大規模な放射能の拡散が日本を襲う。人々や政府の関心が放射能へと集中する。

危険な放射能が身近にせまっている。そんな中、おき去られ、忘れられた人々。地震や津波に被災したばかりでなく、その後の援助が届かない。水が無い、食料が無い、あらゆる物がない。放射能の危険から、被災地への物流が麻痺している。ガソリンが無いのでその場所から逃げることも出来ない。

沖縄には、普通の生活がある。いつもの日常がそこにある。しかし、東北・関東地方の被災者は、今日一日を生き延びることさえ困難な日々を過ごしている。出来ることをしよう。自衛隊や消防隊のように自分の身をかけて貢献することはできない。しかし、自分たちに出来ることがある。

あの地震と大津波から1週間、いつもは車を運転しながら聞いている音楽、自分の部屋で流しっぱなしで聞いている音楽を、今は消している。人が苦しんでいるときに安楽にひたることの心苦しさ。小さな心苦しさではあるが、遠く離れた場所から被災者をおもんぱかる共感が、具体的な被災者への手助けになっていく。

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