何を犠牲にしたか

人の生活は選ぶことにともなう捨てる事と諦める事の連続である。たとえば、勉強に専念するために部活動を辞める、仕事をして家計を支えるために学校を辞める、子育てのために仕事を辞める、子供の自立を促すために子育てをやめる、などなど。

何かを選び取るということは何かを捨てることである。自分の大切な何かを獲得するために他の何かを手放す、放棄する、犠牲にする。生きるとは獲得であるとともに喪失である。喪失、喪失・・・。

公認会計士試験第2次試験の合格発表が昨日あった。知人女性の弟さんが合格した。聞いた話によると家族全員で弟さんの合格のために経済的な面を含めあらゆる協力をして上げたのだという。家族の目標のために両親・姉妹が自分のやりたいことを我慢して協力し合う家族関係。昨今ではあまり耳にすることは少ないのだが理想的な家族の有り様の一つなのだろう。

沖縄の学力問題を考えるとき、学力向上のためにひとり一人はどんな犠牲を払ってきただろうかと思う。自信をもって十分な犠牲を払ってきたといえるだろうか。失うことを恐れない。自ら積極的に捨てていく。学力向上の優先順位を上げれば他に捨てるものはたくさんあるはずだ。活路はそこから開けていく。いや、そこからしか開けない。

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