椅子に登り、上の押入れから数札の本を取り出す。池上永一の「テンペスト」と大城立裕の「琉球処分」
並べて、どちらにしようかと考える。気軽に読めるのは「テンペスト」、少し身構えて読むのが「琉球処分」
「琉球処分」にしよう。早速読み始める。「琉球処分」を読むのはこれで3回目である。以前にこの本を読んだ理由は沖縄を知るための義務感からであった。内容的に読む人を楽しませる娯楽性が少ないので、読み通すには沖縄を知ろうという問題意識が支えになる。
ところが、今回の3回目は以前の義務感とは少し違うようである。ぽっかり空いた穴を埋めたいという願望が心のどこかに漂っている。首里城の焼失、民族のシンボルの喪失。沖縄の目に見えるシンボルがなくなった状況で、今一度自分のアイデンティティを確認したくなった。
中国・日本の狭間で外交交渉により存続を維持してきた琉球王国が、どのような経緯で日本に併合されていったのかに目をやる。 過去の歴史を知ることは現在の沖縄を知ることにつながり、自分自身を知ることにつながる。沖縄をより深く知ることで、ぽっかりと空いた穴を少しでも埋めていく。
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