毛筆の文字

「お父さん、社訓を作ったんだけど、額に入れたいので、毛筆で清書してくれない?」

父が、毛筆を手に大きな白紙に向かう。筆を持つ手が小刻みに震えている。しかし、いったん筆先が白紙に下ろされると、震えは止み流れるような線が描かれていく。筆の流れを見ながら、父の毛筆の技術に敬意を感じている自分に気づく。

しかし、それとともに思う。父の毛筆の技術はいつかは消え去るのだろう。手が震える父は高齢である。父がこの世を去るとき、父の毛筆の技術も一緒に消えてしまう。何とも残念である。などと、父の筆の動きを眺めながら考えていた。酒の飲み過ぎは褒められるものではなかったが、とりえを持つ父でもあった。

 

 三日前、その父が亡くなった。気管切開しており、意識のはっきりしない状態が約一年半続いていた。4、5日前に血圧が急に下がり、体の諸機能の衰弱により亡くなった。

本社の引越しで壁からはずされていた額縁入りの社訓のことを思い出した。倉庫を捜すと、以前のままで残っていた。久しぶりに目にする額縁の社訓である。ガラスの汚れやほこりを落としてピカピカにした。それを、来客の席から正面に見える壁に立てかけた。

父は、社訓の毛筆の文字とともに生き続ける。

 

 

 

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