受容性

猫が2階から落ちた。高窓から外階段に飛び移るのに失敗して下まで落ちた。見てはいないが、たぶんそうなのだろう。

動物病院で診てもらうと足先の着地部分の骨折、ギブスをしてもらい連れて帰った。家に帰ってカゴから出すと、ギブスが床に引っかかりまともに歩けない。すぐに、ものすごい興奮状態になった。ギブスがよほど気に入らないのだろう。うなる、威嚇をする、噛みつこうとする。必死に歯でギブスを取り外そうとする。

折れた骨がくっつくまで、この状態が続くのだろうか。凶暴猫で触ることもできない。心配していたのだが、半日程すると、穏やかな表情でおとなしくしている。足をひきずりながら寄ってくる。すりすりしてくる。おとなしく横になる。

猫が現実を受容した。不愉快な現実を受容し穏やかにふるまっている。本人というか本猫にはその気はないのだろうが、サッパリしていて健気だなと思う。

以前に近くの小学校の運動会で、順位をつけない徒競走を見たことがある。順位をつけない理由は、負けた生徒が嫌な思いをするから。勝った喜び、負けた悔しささえ生徒から取り上げてしまうのか。

競争に限ったことではないが、世の中には直面しないといけない不愉快な現実がたくさんある。不愉快な現実を受容する訓練を適切に与えられなかった子供たちはその後どういう大人になっていくのか。突然、切れる子供たち。切れる大人たち。自分をコントロールできなくなってしまう。

変えることのできる現実と変えられない現実がある。変えられない現実はそのまま受け入れればよい。簡単そうでなかなか難しい。それだけに小さい頃からの受容性の涵養が大切なのだろう。

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