「おたくが生活保護に入りたいんですか」
「いえ、私ではなく82歳の女性なんです。去年から電気・水道が止められて、身寄りもなく、十分な食事もできていないようなんです」
「おたくは、その方とどんなご関係なんですか」
「親族ではなく、道での通りすがりです。一週間ほど前にその人はスーパーの近くで座り込んでいて、食べ物もない感じがしたので私が1000円を上げたんです。そして、今日またそこに行くと、彼女が同じ場所にいたんです。隣に座り、身元や細かい事情を聞くと、去年同居の身内が亡くなり、年金が入らなくなり、生活に困るようになったらしいです。足が悪く、電話もなく、バス賃もなく、行政上の手続きは自分ではできないようなので、だから私が代わりにここに来ているんです。とりあえず、当面の食事代でまた1000円を渡しておいたのですが、こんなことは切りがないので、役所のほうで何とかしてほしいんです」
「分かりました。では、その方の住所やお名前をお聞きしてよろしいですか。担当者をその家へ向かわせますので」
「担当者がその家へ出向く前に、私に連絡を下されば、私もそこに向かいます。私ができることを手伝いますので、よろしくお願いします」
沖縄市の健康福祉部・保護課窓口での、昨日のやり取りである。
くだんの老婦人は、70歳前後だと思っていたのだが実際は82歳であった。いや、本人は78歳と話していたのだが、本人が所持する書類で私が確認すると82歳であった。来月83歳になる。
1936年生まれ、戦争が終わったときは8歳、軍雇用員として働いていたらしい。所持する古いパスポートはカリフォルニアに行ったときの物だという。人生の変転、しかし、どんな変転があろうとも人の最低限度の生活と尊厳は守られなければならない。それが、社会の役割である。
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