学校からの帰り、母が死んでいるのではないかとなぜか不安になる。急いで家路を走る。家に着くと、そこにはいつもの元気な母の顔がある。ひとりホッと胸をなでおろす。小学時代の思い出。
5日前、母が亡くなった。家族に見守られて安らかに旅立った。その直後、左目の外端に糸をひいて丸い一粒の涙の雫があり、右目の内端にも二粒ほどの涙がたまっていた。数時間前から意識はなかったはずなのに、きっと家族の呼びかけは聞こえていたのだろう。
亡くなる数日前からは、家族の腕を手で握りたがるようになった。片腕を母の手に任せ、別の片腕で僕は小説を読んでいた。まだ当分大丈夫だと思っていて、そんなに早くとは思わなかった。あのとき、もっと長い時間付き添って目を合わせて上げればよかったのにと、今になって思う。
遺影の写真は、鮮明な写真がなかなか見つからず、ただひとつ着物の着付けの資格証明の写真だけが鮮明に写っていた。しかし、顔の表情がきついのでそれはやめにした。母がつらかったときの写真なのだろう。鮮明さではなくイメージを基準に選んだら、母が食堂経営をしていた頃の写真にたどり着いた。銀行に勤め始めた長兄が初めて車を買い、名護の桜まつりに家族を連れて行ったときの写真である。背景は満開の桜なのだが、遺影用に加工してもらった。食堂経営をして、精神的にも充実していた頃であり、顔が生き生きしている。
若い頃の写真に楽しそうで生き生きしたのが多く、年齢を重ねた写真に嬉しそうなのが少ないのを申し訳なく思う。
子供たちよりもずっと若い母の遺影写真なのだが、父は気に入っているようである。けっこう美人なのである。
ここ数日、遺影の写真を見ていると、若かった頃の母のイメージが晩年の母のイメージに取って代わることが多い。若かった頃の母も晩年の母も同じ過去の事実であり、どちらもそれぞれの意味がある。昔の美人のまま遺影に納まって、母もまんざらでもないのだと思う。
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