何かを勉強する目的はいろいろあります。ある六十代の薬局経営のおじいさんは軽い脳梗塞を経験し、そのリハビリのためにセンター試験向けの数学を大学生の家庭教師に教えてもらっていました。米軍基地で働いていて英語を流暢に話せる三十代の女性は普段話している英語をもっと文法的に理解したいと女子大生に中学・高校の英文法を教えてもらっていました。
一般的に社会人になってからの勉強の目的は本人の生活や意識に強く結びついていてしかも具体的であり、彼らが勉強に取り組むその熱心さは教えている担当の家庭教師が脱帽してしまうほどです。
何のためなのか分からないままする勉強、させられる勉強はどうしてもモチベーションが低くなります。目的意識の無いイヤイヤな勉強はただ苦痛なだけかもしれません。
子供たちの勉強ぶりを見ていても勉強の目的が具体的であるのと、そうでないのとでは大きな違いがあるようです。調理師になりたい、看護師になりたいなど自分の目指す将来像がはっきりしている生徒はそれがあやふやな生徒よりも気持ちの持ち方が強くより熱心に勉強に取り組んでいるように思えます。
自分の好きなものが何なのかは、早く見つけられる人もいればいつまでたってもなかなか見つけられない人もいます。自分自身を見つめ自分自身が何なのかを考える作業は子供たち本人がすることであり、またいつまでも続くことなのでしょう。
勉強を教えるだけでなく、子供たちと未来を語り合い人生について考える材料と刺激をあたえてくれる教師というのが、いまの時代には強く求められているのかもしれません。
コメント