鈍感力か・・敏感力か

2、3年前のある日、竹輪(ちくわ)を食べたら体中が痒くなった。原因は竹輪かと思い4、5回ぐらい試しに食べるのだがやはりその都度痒くなる。これがアレルギーかと初めて知った。1週間ほど前、ついうっかり竹輪を少しだけまた食べてしまった。次の日から痒くなっていまだに治らない。アレルギーは免疫機能の過剰反応だと言われる。自分の場合は竹輪に免疫機能が過剰に反応したということか。敏感すぎるというのも困りもんだ。

数年前、鈍感力という本がもてはやされた。小泉純一郎が当時の安倍晋三首相に「大事なのは鈍感力だ、内閣支持率の低さは気にするな。」とアドバイスを送っていた。ひ弱な安倍晋三には確かに鈍感力が必要だった。放り投げてしまったのだから。

体質的な過敏とか精神的な苦痛に対し「鈍感力」は一種の図太さとして癒しや緩和の働きをする。鈍感力は苦しみの多い人間の生活にとって必要な能力ともいえる。

しかし、こと教師から生徒への姿勢となると鈍感であっては困る。先生が気づいていないではまずい。アンテナの感度を良好にしてよく気づき、絶えず適切な配慮をする。生徒の痛みが先生の痛みになり、生徒の喜びが先生の喜びになる。痛み・悲しみ・苦しさは鈍感の力で解決するやり方もあるが、次元を高くしたら敏感の力で解決することもできる。感性の麻痺ではなく鋭敏な感性そのもので問題を解決することもできる。安易に感性の麻痺に頼ってはいけないのではないか。先生にはいつも敏感力が求められている。

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