人災

「あしたは、授業はあるんですか。」
「暴風警報がでても風が弱ければ授業はやりますよ。」
「それでは、あしたは風の様子をみて塾に電話を入れてから来させますね。」

次の日、暴風の当日、朝の日差しが穏やかである。外の木々の揺らぎも全くなくセミの鳴き声さえ聞こえる。台風の目に入ったのかもしれない。暴風警報は出ているが全然台風らしくはない。強い吹き返しの心配もあまりなさそうである。台風情報や暴風警報に注意をしつつ、外の風雨の状況から授業をどうするか判断する。今日は普段どおりの授業だな。

今、西日本が豪雨災害に見舞われて、多くの犠牲者がでており、復旧作業の最中である。今回の大災害で悔やまれるのは、住民への適切な情報提供の不足である。行政が避難勧告や避難指示を適切に出していたなら、もっと多くの命が救われていたのではないか。

昨夜、9時ごろ、携帯電話がけたたましく鳴り響いた。見ると、避難準備の勧告であった。外の風雨はほとんどないのに。何でもないときに避難準備や避難勧告を出しまくっていると、いざ本当に避難が必要なときに誰がそれを深刻な危険と受け止めるのか。

狼が来た~、狼が来た~。あとは、誰も信じなくなる。気にしなくなる。避難指示や避難勧告は本当に必要なときだけでよい。

オウム事件の7人の死刑が次々と執行されて、それをテレビが実況中継していた。死刑執行はその日でなくてもよかったはずだ。あの日のテレビ報道が豪雨災害の注意喚起の報道であったなら、もっと多くの命が救われていたはずである。人々の興味関心が7人の死刑執行に集中し、テレビは死刑執行の報道一色であった。そして、その日の夕方から、多くの人々の命が土砂や濁流に飲み込まれていった。

また、その前日に、総理大臣や法務大臣も含めて、多くの自民党代議士が宴会を開いていた事実も明るみになっている。西日本の豪雨がひどくなり気象庁が大災害の危険を警告しているに、その夜日本を統治する政治家は宴会を開いていた。上川法務大臣は自ら署名した7人の死刑執行命令により、翌日にはまだ執行を知らない7人が殺されるというのに、宴会では乾杯の音頭をとっており、ネットの写真では総理大臣の隣で親指をたてて笑顔で納まっている。犯罪者ではあるが、人の命の奪うことの重みをこの人物は全く感じていないようだ。総理大臣もしかりである。

つまるところ、行政の関わる政治家が全く範を示していない。今回の豪雨災害は人災である。

 

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