新聞小説

琉球新報の連載新聞小説を毎日楽しみに読んでいたのだが、ここ最近の物語の展開が面白くなく、昨日から読むのを辞めた。村上龍の「55歳からのハローライフ」。ハローワークと思っていたが、ハローライフと気づいたのは一月後。題名が何だか。

その前の新聞小説も、約半年は読んだが途中で辞めた。五木寛之の「親鸞」。

新聞小説は、その物語に引き込まれると、新聞のどの欄よりも魅力的で先に目を通したくなる。新聞の魅力は新聞小説が7割で、記事が3割という感じになる。

今回の村上龍の新聞小説は、約2ヶ月で1つの短編が完結して全く別の次の短編に移るのだが、現在の短編が3つ目である。3つ目は「はずれ」かな。最後の部分がくどくて、読むのがひどく難儀。読者は少しの無理はいとわないが、無理が過ぎると読むのを辞めてしまう。158回までは読んだ。

五木寛之の「親鸞」は、浄土真宗の教義の煩雑な部分の話が延々と続いたところで、へこたれてしまった。自分は仏教徒でもないし、浄土真宗の信者でもないので、教義の煩雑な部分の話が長々と続くときつい。面白さを感じなくなったところで読むのを辞めた。

大人が面白い面白くないで判断するのだから、生徒はなおさらである。生徒は勉強が面白いと思えば続けるし、面白くないと思えば続けない。生徒が勉強を楽しいと思えるように、塾の先生方には楽しい環境作りと授業作りの工夫が求められる。

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