差別

あと6時間で年が暮れようとしている。何か書いておこう。

最近、大城貞俊さんの「椎の川」という小説を読んだ。

 沖縄戦が始まろうという頃のヤンバルの小さな集落、楚洲。太平洋に面し、道も十分にない陸の孤島とも言われた村。戸数40ほどで、人々は山から切り出した木材をヤンバル船で売って通貨を得て、後は農業や漁業で自ら食べるものを得て、ユイマールなどでお互いに助け合いながら暮らしていた。主人公の静江は、嫁ぎ先で、二人の子供にも恵まれ、幸せな充実した日々を過ごしていた。

 しかし、ナンブチと言われ当時人々に恐れられていたハンセン病の兆候が彼女に現れ、これまでの幸せな生活が壊れていく。偏見と差別、これまで仲の良かった人々からの心ない仕打ち。なぜ、自分がこんな目にあうことになったのか。降りかかった不幸は、本人だけでなく身近な家族にまで及んでいく。そんな中でも、夫をはじめ、家族からのいたわりは静江のやりどころのない悲しみのわずかな救いであった。

 しかし、戦争は静江の心の支えであった夫を取り上げていく。徴集礼状が来たのだ。・・・・・・・・・・・・・

 

「僕は、差別というのが許せないんです。かつて、自分の父も母もハンセン病の施設に収容されていて、その二人が結婚して自分が生まれたんです。父と母がハンセン病で差別をされ、世の中の理不尽な差別を身近で経験してきているので、なおさら差別というものに強い憤りを感じるんです。沖縄の住民が反対しているのに、新基地建設を押し付ける。本土のどこも拒否している基地を押し付ける。これは沖縄に対する差別です。僕は新基地建設という差別が許せないんです。」

土木工事の技術者でありながら、会社を辞めて基地建設反対運動に身を投じているOさん言葉である。いつも作業服を着ているのは、土木技術者としてのプライドで、いつも頭に被っている白い帽子は父の形見とのことだ。

差別と闘うというOさんの言葉は体験が背景にあるので、説得力がある。新基地建設反対運動は、差別との闘いである。

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