慰霊の日について

昨日は慰霊の日だった。沖縄戦で亡くなられた多くの方々の御霊に合掌。

多くの尊い命が国家という圧倒的力の下で当然のことのように奪われていった戦争、投げ捨てることを強制された戦争。客観的に国力を見極める能力をもたず、精神論だけで戦争が勝てると考えた愚かな時の支配者たち。愚かな支配者の判断と決定で名も知れぬ無数の国民が無益に命を落としていった。いつの世も権力を誰に預託するかが国民の幸・不幸を左右する。

話は変わるのだが、慰霊の日に学校まで休日にするのはそろそろやめたほうがよいのではないか。休みにしても生徒たちは遊んでばかりいるのだし、学校に行かせて勉強させたほうがよい。そのときに平和教育もすればよい。亡くなられた御霊もそれを喜んでくれるはずだ。

ここで大事なのは動くか動かないかだ。寸暇を惜しんで勉強時間にあてるという姿勢が学力を向上させる。地域社会の勉強に対する価値観がゆるいと学力は向上しない。慰霊の日に子供たちが街中を遊び歩いているのをみて、地域の大人が何とも思わないようなら学力の向上は望めない。

おそらく100年、200年という時間の経過が慰霊の日を休日でなくすることであろう。しかし、その前に学校だけでも休日からはずしてしまおう。生徒の学力の実態は地域社会の学力観の反映である。

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