久しぶりにミシンを使った。カチャカチャ・・。ホームセンターで買ったと言う1万円のミシン、簡単な直線縫いしかできない。ズボンのポケットに穴が空いていたのだが、四苦八苦しながら何とか穴を塞ぐことができた。あと1・2年は履けそうだ。
自分で直してみると、このズボンに以前よりも愛着が湧いてきた。手を加えると思い入れも出てくるのだろうか。
たかがズボンでも愛着を感じる。それなのに自分の命に愛着を感じられないというのは何という不幸だろう。自分の命を大事に思えたなら、無差別に多くの人間を殺傷することなどできない。
秋葉原の無差別殺傷事件は、心が痛むとともに考えさせられる。犯人は勉強がよくできて高校も県のトップ高校に入りながら、結局は本人自身が負け組みであると感じる状況に至り、勝ち組への反感を募らせていった。
現在の政治が志向する適者生存・弱者切捨てのひずみは、これから先どのようにわれわれの生活に影響を与えていくのだろうか。
ものであれ、命を持つものであれ、世の中に無駄なものはない。自分自身を取り巻くあらゆる事物、事柄、生命に意味があり、自分自身もその中の一つであると感じられたらどんなによいことだろう。
勉強ができるのはとても良いことなのだが、時として大切な何かが忘れられた勉強は、その人の人生に益どころか災難をもたらすことがあるかもしれない。一生懸命勉強するすべての人が必ずしも世間で言われている勝ち組になるとは限らないのだし・・・。
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