5月29日
畑に7、8本のバナナの『木』を最近植えた。さて、木という表現でよいのか疑問に思ったのでネットで調べてみた。
どうやら、バナナは草のようである。木ではなく、「巨大な草」である。幹に見えるのは葉っぱが幾重にも重なったものである。バナナの幹は一生に一度だけ果実をつける。そして、その幹は枯れていく。
バナナは多年生であり地下茎から増えていく。幹のそばから新しい芽が出て育っていく。繁殖力が旺盛なバナナ、これからどう育っていくか楽しみである。
5月15日
嘉陽層
名護市嘉陽には、珍しい地層の褶曲(しゅうきょく)を観察できるところが2か所ある。一つは山側で、もう一つは海岸側である。山側のほうは簡単に行けて国道から脇道に徒歩で200メートルほど行ったところにある。もう一つは天仁屋の海岸から岸辺を南に30分~60分ほど歩いたところに4ポイントある。山側の方は以前に行ったことがあるのだが、今回は山側と海岸側の両方に行ってみた。
これは山側の褶曲である。約5400万年~3700万年前に2000mを越える深海底で堆積した地層である。その海洋プレートが大陸プレートに潜り込むときに剥がれて大陸プレートの端に留まったのがこの地層である。激しい褶曲で地層が横倒しになった非常に珍しいものである。
これは海岸側の褶曲のうち、一番奥まで行った4ポイント目のものである。海岸べりを覆う大小の石ころの上を1時間ほど歩いてたどり着いた。苔でヌルヌルの石の上では、転ばないように犬のように四つん這いで歩かなければならない場所もあった。着くまで結構大変だったが、この景色を見れたのは最高である。切り立った崖の複雑な地層の歪みと、海側に広がる海岸の歪み、海岸から崖の山までこの一帯全体が褶曲を構成している。
ここに来るまでは、歩いている途中、ここに来るのはこれが最初で最後だろうと思っていたが、どうもそうではない。
悠久の時を感じられるこの場所は、人間一個の存在の小ささ、人の持つ悩みや不平の小ささを思い知らせてくれる。時おり、すり減った精神に安定と活力を回復させるために、きっとまた来るのだろう。
5月11日
母の日の思い出
遠い昔、まだ学生のころ、母の日にカーネーションの花を母にプレゼントした。花は近くの大型ショッピングセンターの花屋で奇麗なのを見つけて買った。
母に上げると、なぜだか母は思わず笑っている。
「あのね、勝也。白いカーネーションは、お母さんが亡くなった人が買うものなんだよ。亡くなった母に捧げるのが白いカーネーションなんだよ」
「えっ、そうなんだ」
「だけど、ありがとうね」
と言い、母は喜んで見当違いの花を受け取ってくれた。
10年ほど前に他界した母との思い出である。私の遠い記憶にかすかに留まっていた出来事。いつの日か、私の存在と共に消えていくたわいもない出来事。思い出して上げること、どこかに残して上げることが今でもできる小さな親孝行。
コメント