政治・社会(随時更新)

 


12月25日
来年1月25日の名護市長選挙投票日まで、残り一カ月になりました。政策の要点を記します。

新庁舎建設計画の変更・延期

国柄を変える移民政策に反対

自然破壊のメガソーラーに反対

コロナワクチンの推奨を中止

伊波勝也の政策

市民の声が届く行政・透明な行政
名護市民からの行政への意見を積極的に聞きとる場所と機会を設けます。そのためには、一般職員だけでなく名護市長も市民の声に直に触れる機会を数多く持つことが大切だと考えます。市民の声に耳を傾け行政に反映させていきます。

オンブズマン制度の導入
市議会の承認で選定された行政を調査・監視するオンブズマンが、申し立てのあった行政の不適切な行為について公正・中立に調査し、その結果をもとに是正措置を勧告する仕組みを作ります。

消防署跡地の不正売却問題
名護市の消防署跡地が渡具知市長の親族の会社に格安で売却されていき、名護市に多大の損害と不利益をもたらしましたが、オンブズマン制度で事態の経緯の調査と今後の是正を方向付けます。

官製談合
2022年の「全日本花いっぱい名護大会」で名護市地域経済部観光課が幽霊会社2社を使った官製談合を行ったと疑われますが、オンブズマン制度で調査と是正勧告行っていきます。

新庁舎建設の延期
名護市内の土地・建物などは投機の対象となり最高値の状態です。金利は上昇傾向であり、膨らんだバブルいつはじけてもおかしくありません。名護市は新庁舎建設の計画がありますが、今は建設計画を立ち止まり経済の成り行きを静観するべきです。
土地バブルが収まり建設費が低くなるときが必ず来ますので、それまで待つべきです。しばらく建設を遅らせることで予算が浮きますので、その分を切実に必要な重点分野に使うべきです。

子育て支援
予算配分の重点分野として、まずは子育て支援が考えられます。子育て支援は、その両親、祖父母の負担を軽減させますので、広い世代・範囲での支援となります。また人づくりこそが国力の源泉でもあり最も有効な投資です。保育から大学教育までの広い支援を目指します。

食糧自給
命を支える食糧自給への取り組みは優先課題です。台湾有事の危険が叫ばれていますが、海上封鎖があった場合に沖縄には食糧が入ってきません。食糧自給のため第一次産業の振興は重点を置いて取り組むべきです。

コロナワクチンの効果の検証
コロナワクチン接種が2021年から始まりましたが、その効果について検証を行います。また、コロナワクチン接種の市民への推奨は中止します。

日本人ファースト

移民や在留外国人についての政策

大量移民の受け入れでヨーロッパの治安は驚くほど悪化しています。日本では移民の犯罪率は日本人の1.72倍であると参政党の大津力議員の国会質問に政府が答弁しています。社会の治安を守るため移民流入に抑制的な政策をとります。

メガソーラーや風力発電設備の設置のために森林伐採等で自然が破壊されています。特に、円安に便乗した外国人が日本の土地を買いまくりメガソーラーを大量に建てています。条例でメガソーラーや風力発電設備の設置に制限を加えます。

移民からの土葬墓地の建設要求については、土葬による土壌汚染や地下水汚染・水道水汚染を防ぐため土葬墓地は認めません。

移民や在留外国人の多文化共生の主張は、まずは日本文化の尊重が第一であり、日本文化に相反する多文化共生の主張は受け入れられないという共通認識で政策は行います。「郷に入っては郷に従え」は普遍的理念です。

 


5月15日

大宜味村白浜に行ってみた。戦争中に起こった日本兵による住民虐殺事件の現場を直に見たかったからである。場所は塩屋湾の海側の端の小さな集落、着くと最初に目に入ったのが白浜地区公民館、そこから小道を挟んだ真向いに白い浜辺がある。なるほど、白浜である。あいにく岸辺が工事中だったので、遠くから白い浜辺の写真を撮った。

ここで、住民が虐殺された。友軍のはずの日本兵によって女性・子どもが虐殺された。しばらく佇んで過去の事件に思いをはせ、その後、白浜地区公民館に立ち寄った。地域住民の声を拾えたらと思ったのである。

公民館の中で60代ぐらいの男性2人が、地域行事の準備作業をしていた。

「渡野喜屋事件について、お話を伺いたいのですが」と話しかけると、笑顔で応対していた二人の顔がすぐに曇った。

「あの事件については、もう話したくないんだよ」

「悲惨な事件のことは忘れて、明るい白浜地区にしたいんだ」

「多くの人が事件のことで取材に来たけど、間違った情報を流す人もいて迷惑している。この公民館で人が殺されたという人もいて、間違ったことを言われて、本当に困っている」

「事件当時の人は、もう亡くなっていて、私たちは直接は知らないので、もうそっとしてもらえないかな」

予想はしていたが、最もな反応である。「そうですよね」と共感の意を示すしかなかった。

話題を転じて「白浜は本当に小さな集落ですね。戸数も数えるほどですが、これで全部ですか」

「うん、他にはない。これで全部、でも一つの自治会なんだよ」

「『平良保一』さんという方の顕彰碑が公民館の向かいに建っていますが、この小さな集落からすごい偉人がでているんですね」

「そうなんだよ、いい話も流してくれて・・・、顕彰碑に刻まれた顔写真を撮っていったらいいよ」

「ではそうしますね、写真を撮ってから帰ります。今日はどうも有難うございました」

地域の人の受け止め方に少しでも触れられないかと話しかけたのだが、案の定不興を買ってしまった。

しかし、事件についてはあの事件を生き延びた生存者が証言として成行きを残してくれている。悲惨な体験を残してくれている。そして私たちはこのような事件から目をそらさず、事件の原因を徹底して検証することが責務である。一体何が、こんなに悲惨な事件を引き起こしたのか。その反省を怠ると、戦争には付き物と受け流すようだと、戦争の悪夢への道を再び許してしまうことになる。
 
【<沖縄戦・渡野喜屋事件>「戦争は人を変える」住民虐殺 母の証言語り継ぐ】https://www.asiapress.org/apn/2021/06/japan/war/

以下の渡野喜屋事件は、上記の記事からのあらましである。

渡野喜屋事件

事件は、1945年5月12日に大宜味村渡野喜屋(現在は白浜区)で起こった。米軍に捕まった中南部からの避難民が収容されている渡野喜屋集落を日本兵約10人が襲撃し、女性や子供をロープで数珠つなぎにして海岸に集めて4列に座らせて、そこに手榴弾を投げ込んだ。男性7人は別の場所に連れ去られて首を切られた人もいる。この事件で35人が亡くなり15人が負傷した。

後でやってきた米軍が、遺体を収容し負傷者を病院に送り、残りは他の収容所に移送した。米軍による搬送の前、生き延びた人が持ち物を取りに民家に戻ると食料や毛布などはすべて持ち去られていた。

この襲撃で日本兵が住民に投げた言葉が

「俺たちは山の中で何も食うものがないのに、お前たちはこんないいものを食っているのか」

「貴様ら、敵の捕虜になり下がりやがって。それでも日本人か」

そして、35人の無垢の住民が友軍の日本兵によって惨殺された。
 


コメント

  1. ぱーやん より:

    ニュースを見て政策発表の内容を見てブログを拝見しました。
    とても素敵な政策です!頑張ってください!応援しております!

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